ちょいまじめな話題 その1

伝統的アプローチ

政治研究へのアプローチは、普通、伝統的アプローチと行動論的アプローチに大別されます。

前者は比較的古い時代から採用されているアプローチであり、後者は近年になって広く行なわれるに至ったアプローチです。

明確な境界線を引くことはあたかも各研究者がいずれかのorientationのみに従い他は無視する傾向にあるとか、重複部分がないとか考えられる危険があります。

しかし、伝統的アプローチを一切排除した純粋な行動科学論者はほとんどいない(その逆の場合には若干疑わしい)ということさえ銘記されればこのディコトミーはある程度の正当性を持っていると言えるでしょう。

ここはホントにイイ!   3

夢二は一八八四年岡山県で生まれ、はじめ詩を書いたが認められず、コマ絵を投書して認められ、絵を描きはじめる。

その後、芸術活動をしながら、やがて、いわゆる「夢二の美人画」を描くようになる。
彼はまた、詩や散文も書き、詩集や詩画集を出版し仔情画の世界をきついた。

入口にある髪を長く伸ばした夢二、十代の写真の顔は今の原宿や渋谷の若者たちを彷彿とさせる。

その故か知らないが、ここには若者、それも時代の先端を行く若者たちがこぞって見に来る、という。
「大正ロマンは平成ロマンに通じる。ここで人間竹久夢二の魅力を感じとってほしい」と、学芸員のは言う。

ここはホントにイイ!   2

この美術館は、本郷の東京大学弥生門の前にある。
となりは「弥生美術館」で、二館並んで建っている。
外観は菊坂の菊富士ホテルを模したもので、一九九〇年十一月の開館である。

暗闇坂につづく通りから見ると、門の木立の向こうにその建物がみえる。
この付近は大正や昭和初期のたたずまいが残っていて、緑の静寂があり、憩いの美術館ともいえる。

創設者鹿野琢見氏は、大正、昭和の人気挿絵画家たちの絵を収集したとき、夢二の絵も集め、この夢二館が独立したのである。
日本髪の乙女が巻紙のたよりを読んでいる絵が、門の横の黒い自然石に刻まれている。
「ぬれて来ばよしや涙にあらずとも、うれしきものを山のおとつれ 夢生」と賛がある。

「山」とは笠井彦乃のことで、夢二は自分を「川」と呼んで、二人は忍び逢っていた。
彦乃は夢二の多彩な女性関係の中で、最愛の女性であった。
この絵の実物は館内に展示されている。

ここはホントにイイ!  

~東京都文京区弥生~

川端康成が若い日に夢二を訪ねたとき、女が鏡の前に座っていた。
その姿が夢二の絵そのままだったという。
その女こそ、夢二のモデルのお葉さんであった。

夢二はお葉によって多くの名作を描いた。
黒船屋、女一〇題、稲荷山など、代表作と呼ばれるものである。

館内に展示されているのは「稲荷山」で、うす茶色の絹本に描かれた黒い着物の女は、白狐の化身のように妖艶な姿態である。

はだけた胸もとや、裾からのぞいている白い素足に、ただようエロチシズムが感じられる。

ここもイイ!  3

もう一つの収集に、グランドマア・モーゼスの作品群がある。
アメリカのおばあちゃん画家である。

七十五歳で油絵を始め、農婦として働いた「メープルシュガーの取り入れ」や「古い台所」の田園風景を描き、「冬の古い屋根のついた橋」の珍しい絵もあり、百歳をこえるまでキャンバスに向かい、素朴な絵を描いたという。

「シュガーキャンディー」は一番華やかな想い出か。
都庁が新宿に移り、新宿駅西口の人の流れが増えたようだ。

少しゆとりの時間のある時、裾の広がったビルの42階まで、エレベーターで一気に上れば、この安田火災の美術館は、彫刻を配した展覧回廊から導かれ、青児や「ひまわり」のほかにも、思いがけない出会いを果たしてくれる。

ここもイイ!  2

東郷青児は生前、自分の作品の散逸を憂い、自作(約二百点)と、内外のコレクション(約二百五十点)を、安田火災に寄託していた。

安田火災本社ビル新築にあたり、社会に何か還元したいとの会社の考えに、青児氏が賛同し、美術館の設計の段階からかかわられたそうだ。

安田火災と青児氏との関係は、前身の東京火災の南社長が、昭和の初期より若い芸術家を支援したことに始まる。
以来、青児氏は同社の印刷物やカレンダーのデザインに携わって来たとか。

茶系統の壁に、白っぽい画面、青児特有の女性像が並んでいる。
初期の絵から、特有の柔らかな女人の数々の絵にみとれていると「東郷青児は『気にいったものは大切にして手元に置いている』と言われていたそうで」と、来客に説明されている声が聞こえた。

「笛」「花炎」「四重奏」など、夢幻のような画の中から、ご本人の声として聞こえた思いがした。

ここもイイ! 

~東京都新宿区西新宿~

一九八七年、安田火災がゴッホの「ひまわり」を購入した。
その価格が五十三億円と話題を呼び、美術ブームの端緒となった。

前室にルノワールの画が二点、奥まった一角に青っぽい色の壁に浮かび上がっている「ひまわり」は、両側に「アリスカンの並木路・アルル(ゴーギャン)」と「りんごとナプキン(セザンヌ)」と並んでいる。

いずれも安田火災創業の頃に描かれた作品。
盛り上るように絵具を重ねて描き続けた「ひまわり」。
この画を描き上げた翌年、ゴッホは三十七歳で亡くなった。

十五本のひまわりは、今、何を語っているのだろう。

お気に入りなのよ 3

大広間わきの大きな香水塔は、そこに入れられた香水が電灯の熱でほのかな香りを発し、大切なお客様を迎える時に使われたもの。

各部屋ごとの意匠をこらした照明器具は、ラジエターカバー、エッチングガラスをはめこんだ扉などを眺めていると、華麗な貴族の生活を垣間見る思いがする。

長い間幻の建築といわれていたこの朝香宮邸は、その後、所有権が西武鉄道に移り、戦後は政府が借りて外務大臣公邸や国の迎賓館などに使用されたが、一九八三年に、建物につづく和風庭園、洋風庭園とともに東京都の庭園美術館としてオープンしたのである。

ここは各種の展覧会場として利用されているが、それぞれの作品がこの館の各部屋の壁面に飾られると、その作品が一だんと輝きを増すように思われる。

お気に入りなのよ 2

唐草模様に代表される、動植物をモチーフにした曲線模様が主体のアール・ヌーボーに対し、アール・デコは機械によって量産可能な、金属質で直線的なデザインの様式であった。

このアール・デコ様式を好まれた朝香宮は、一九一〇年のご結婚の際に賜った白金台の一万坪の土地に、三年の歳月をかけてアール・デコの粋を集めた館を建築したのである。

建築の設計、施行は現赤坂迎賓館を手がけた宮内省内匠寮があたり、室内装飾は宮様の要請で、アール・デコの第一人者フランスのアンリ・ラパンが担当した。

館内は質素な外観とは異なり、洗練されたヨーロッパ直輸入のアール・デコ様式がいたるところに見られる。
玄関の床は古代エジプトの幾何学模様を配した大理石のモザイクタイル。

ガラス工芸家ルネ・ラリックによる、四女神像を浮き彫りにした玄関のガラスレリーフのすばらしさなどは息をのむ思いである。

お気に入りなのよ

港区白金台一帯は武蔵野の面影を今に残す緑ゆたかなところ。
江戸時代には大名屋敷が立ち並んでいたこの地は、明治以後は皇族や華族の邸宅用地になっていた。

この一角に、東京都庭園美術館の前身である旧朝香宮邸が建てられたのは一九三三年のことである。

朝香宮(久にの宮家八男鳩彦殿下、妃殿下は明治天皇八女)は、一九二二年より三年間フランスに留学し、ヨーロッパ文化を見聞された。

留学時代の一九二五年はパリで国際装飾博覧会が開催され、アール・デコとよぼれる装飾芸術がピークに達した時代でもあった。

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